双龍旋物語
双龍旋はいつ出来た?
2001年12月スラロームジャムセッションが駒沢公園で行なわれ、あらい&ひで爺で披露したのが最初。
シンクロスラロームしてみない?
ある時、あらいさんと二人でシンクロスラロームをしようと盛り上がった。
最初は普通に飛燕や大蛇などを二人でシンクロして遊んでいたのだが、段々と欲が出てきた。
もっと色々と組み合わせてみようと、各々の得意な技を出し合う。
当時毎日のように滑っていたひで爺の方があらいさんの得意な技を模倣し二人で合わせようということに決まった。(単にあらいさんの持ち技の方がカッコ良かったのだが)
その時に、あらいさんが好んで滑っていた技が龍旋の原点となる技だった。
基本的には、大蛇と飛燕を織り交ぜた技であるが、途中で戻り(ブラインドターン)が入るコンビネーション技(ルーチン)であった。
当初はまだ最後の決め手となるネコターンストップは組み込まれておらず、一往復半の最後の部分はそのまま通り抜ける形だった。
苦戦!
二人の滑りにはくせがあり、特にクローズターンであらいさんが急加速してしまう、戻り(ブラインドターン)の後にひで爺が減速してしまう場所がネックであった。
あらいさんはスピードの一定化、ひで爺はその技の全体的な練度と戻り(ブラインドターン)部を集中的に練習したのを覚えている。
お披露目はスラロームジャムセッション
12月にスラロームジャムセッションを行うことになった。
最高のお披露目の機会である。
しかしそのためには最後の部分に”決め”が欲しい。
従来のようにただ抜けてしまうのではなく、二人での決めを作りたい。
二人で色々と案を出し合い、ひで爺お得意のネコターンストップでの二人同時のストップで決めることに決定した。
すでにこの時点で龍旋・改のあらいターンが候補として出ていたのだが難しすぎるとのことで現在の双龍旋の形になった。
秘密の特訓も・・・
夜の駒沢が基本的な練習場であった二人だが、本番まではこの技は秘密だった。そこで、人がいる場合には個々の練習やシンクロの飛燕練習ばっかりやっていた。
駒沢では練習する機会が少ないので、わざわざ新横浜に行って二人で特訓したのを覚えている。
二人はライバル・・・
二人は負けず嫌いである。
シンクロは仲良く・・・という印象があると思うが、二人の場合は戦いだった。対決といった方がいいのかもしれない。
どちらかがミスをすると”どんまい!”とミスをしていない方が声を掛けるのだが、ミスした方は非常に悔しがった。
ミスや間違いは負けを意味するのと同意だからなのであった。
お互いに切磋琢磨する感じで徐々に練度が上がっていった。
相棒であるが、良きライバルなのであったのだ。
呼び名がない・・・
他の人には秘密なのでシンクロ練習する時には”あれやるか?”で通じていたのだが、段々と呼び名が無い事に不便さを感じてきた。
そこで呼び名だけでも決めることになった。
それからはいつ何やる時にも、呼び名のことを考えていた。
最終的に採用されたのがひで爺の提案した龍旋、双龍旋という名称だった。
こうして現在の龍旋、双龍旋が完成したのである。
現在では、最後の部分を”蝶番→スライドターン→バッククロス→ネコターンストップ”に 変更した龍旋・改や三人でおこなう三龍旋といったバリエーションまであるが、これはまた大分先の話になるのであった。。。